不妊治療中に心が安定していなかった時、仲のいい友人から妊娠したと報告を受け
素直に喜べない自分がいました。
他にも友人のSNSで出産報告、子供の成長記録の書き込みに「いいね」が付けられなかったり。
みんなでBBQをした時に子供達も来ていたけれど全く遊ぶ気になれなかったり。
私はいつからこんなに性格が悪くなってしまったのかと落ち込んだりもしました。
30歳を過ぎると周りは結婚・出産ブームになりその状況にいない
私はそこから置いてけぼりになった感覚になりました。
私だけその場にいてみんなは少し先の方に行ってしまった感覚でした。
最初は「別に私は今でも十分楽しいから」とか「子供がいなくたって別にいいし」
と強がっていました。
強がるって誰に?何に対して?
私はなぜ強がっていたのでしょうか。
それは自分の気持ちに蓋をし、ごまかして自分を守っていたんだと気が付きました。
これは脳が勝手に「傷つかないように」と自己防衛してしまうのです。
また人間誰しもよく見せたいと思ってしまう生き物。
抗ったり焦ったりしている姿を見せないのが「美徳」だと勘違をしていました。
ここで私が出会った心をクリーンにする仏教の教えを紹介します。
仏教の教えに「正定」 という教えがあります。しょうじょうと読みます。
常に心を落ち着け周囲や環境の変化などに動揺しない、安定した心を得るために努める
ように諭した教えです。
心の安定を得るには座禅や瞑想などで鎮めたり、物事の真理を書いてみて客観的に
観察してみることです。
「正定」を完璧できるかって言われてしまうとなかなか難しいですが、
傷つきたくないと気持ちに蓋をするのではなく、悲しい、苦しい、辛いという感情が出てきたら
「私は今悲しいんだ」と一度心の中で受け止めてみます。
そして何かを失ったわけではないという現実、支えてくれている人の顔を
思い浮かべてたりして心を静めてみてください。
そして本来の真理を客観的に観察していきます。
例えは、赤ちゃんがこの世に誕生することは喜ばしい事である、
子供の元気な姿は周りを明るくさせる、同年代が全員が結婚や出産している
わけではない、という事実を客観的にみていくとモヤモヤした気持ちが整っていきます。
私はどこかの宗教を特別信仰いるわけではありませんが、
妊活中から始めたヨガもインド発祥の宗教的行法だったり、
子授けで有名な神社にお参りに行って「どうか赤ちゃんが授かりますように」と願ったり、
妊娠中は「無事に元気な赤ちゃんが誕生してくれますように」と願いました。
また受験生が合格祈願をしたり、厄年にケガや事故が多く厄払いをしたり、
病気になってしまい健康を祈願したり。亡くなった方への供養をしたり。
私たちは困った時、自分ではどうにもできない不安を抱えたときに神頼みをします。
昔から私たちの身近に神道や仏教はあり、生活困窮者、DV、家族問題等で逃げ場や避難所として駆け込むことの出来るお寺もあります。
この神道や仏教を困った時にだけ「助けて!」と言うのもなんだか失礼な気がしませんか?
少し歩み寄るつもりで心を軽くする仏教の教えを取り入れてみるのもいいかもしれません。
座禅や瞑想は少し難しいと思うのでお家で出来るヨガもおすすめです。↓






